2008年8月8・9日に新国立劇場・小劇場にて行われたコシミハルのミュージック・ホール『覗き窓』の為の予告編。
2008年10月07日
Musique-hall "Les judas"
posted by dwww at 00:00| DWWW miharu archives
2001年05月09日
コシミハル『フルフル』インタビュー
4/21に『フルフル』を発売したばかりのコシミハルさん。今週はアルバム制作にあたり行ったミニ・インタビューの模様を紹介します。是非、CDを聞きながらお楽しみ下さい。
Q1.今回のアルバムは全てカバー曲ですが、これらの曲を選んだ理由について教えてください。
ここ数年の間、ずっと一番自分の近くにあった音楽を取り上げました。今までにもいくつものカバーをやったんですけど、その中でも一番自分に近い、自分のいちばん心の奥にある音楽を選びました。
Q2.クルーナー(クルーニング唱法の歌い手達)の曲が多いですが、「クルーナー」そして「クルーナー」とは?
今回のアルバムの曲は若い時代のフランク・シナトラやビング・クロスビー、フランスのアンドレ・クラボーという人が歌ってるものなどが中心ですが、それらの人たちは「クルーナー」と呼ばれていいて、マイクロフォンに向かって囁くように歌う「クルーニング」という唱法をとっています。それまでの歌手はマイクを使わないでベルカントなどで歌っていたのを、初めてマイクロフォンを使ってレコーディングやライブを始めた人たちの歌い方です。私はそのような歌唱法がとても好きです。クルーナーはその特徴として、滑らかなビブラートをつけて歌うのですが、私自身の声にはビブラートがありません。でも、演奏する上での精神的なあり方ではクルーナーと同じ場所にいます。感情的なものに流されて歌い上げたりしないとか、そういうところです。それらの楽曲を聴いたときに、歌が他の楽器と同じ様なオーケストラの一部であるという印象を受けたので、自分がこのアルバムを創るときには声もひとつの楽器であるという扱いでアレンジをしました。
Q3.今回のアルバムは、かつて'87年にリリースされたソロ作品『echo de Miharu』や『シャンソン・ソレール』といったカバー集の続編に位置するものなのでしょうか?
自分の中では過去の作曲家の作品を取り上げるということは、自分の作曲をするのと同じ様なところに位置していて、その違いはあまりないのです。そういう意味では、オリジナルもカバー集でも創るときに共通する「創っていく」という意識は同じなので、そういうことではありません。『echo de Miharu』のときはもっと幅広い選曲で、例えば、ディアナ・タービンの「It's been a sunbeams」やモーツアルトの「ハレルヤ」などベルカント風の発声をしていたので、それはちょっと今回の歌い方とは違うかも知れないですね。
Q4.ジャズのスタンダードが多いですが、ジャズにこだわったのでしょうか?
絶えず自分の中で変化している部分もあって、『echo de Miharu』以降、アメリカの古いジャズと、ヨーロッパのものを一緒に聴くのをずっと続けていて、そのなかでたどり着いたところだと思います。沢山聴くことによって、それらの楽曲が自分に近づいたというのがあるのと、客観的にみると、すごく自分が日本人であることを改めて感じました。日本の歴史のなかにはこれらの作曲家がいないということ。だからとても近いんだけども、とても遠いという両義性がある。シミュレーションをするときに聞き取って、譜面に起こすという作業を行ったわけですが、自分にとって、それらを理解するという作業はとても楽しいことでした。
Q5.7曲目の「C'est un nid Charmant(There's a small hotel) 」はオリジナルの”完全なるシミュレーション”に取り組んだとのことですが、シミュレーションとは具体的にはどのような作業なのですか?
この作品はクロード・ソーンヒルの演奏しているものを、レコードから楽譜に書き起こして、それをコンピューターを使ってレコーディングをしました。昔の録音ですから聞こえない音もあるので、それを予測して聞き取り加えて、何度も聴き比べながら、レコードの響きと同じように聞こえるように創っていきました。
Q6.多くの曲をフランス語でやっていますが、どのように作られたのか?
2曲はフランス文学者の鈴木創始さん。他にフランス語教師のジャン・ピエールアブリエルさんにお願いしました。
Q7.なぜオリジナルではなくフランス語で唄うのですか?
やっぱりフランス語の響きが好きなのです。
Q8.これらのCDのオリジナルも聴いてみたいのですが、手に入るものでしょうか?
CDショップに行けば、手に入ると思います。ジャズのコーナーなどで30年〜40年代というように年代で探せば見つけられます。
Q9.最後にコンサートの予定を聞かせて下さい。
12月(注:12/21〜22の2日間を予定)に世田谷パブリックシアターで行います。『フルフル』の中で取り上げた曲を中心に、オリジナル曲を織り交ぜながら、いつものようにバレリーナやダンサーと一緒にミュージックホールスタイルの楽しい舞台にしたいと思っています。
Q1.今回のアルバムは全てカバー曲ですが、これらの曲を選んだ理由について教えてください。
ここ数年の間、ずっと一番自分の近くにあった音楽を取り上げました。今までにもいくつものカバーをやったんですけど、その中でも一番自分に近い、自分のいちばん心の奥にある音楽を選びました。
Q2.クルーナー(クルーニング唱法の歌い手達)の曲が多いですが、「クルーナー」そして「クルーナー」とは?
今回のアルバムの曲は若い時代のフランク・シナトラやビング・クロスビー、フランスのアンドレ・クラボーという人が歌ってるものなどが中心ですが、それらの人たちは「クルーナー」と呼ばれていいて、マイクロフォンに向かって囁くように歌う「クルーニング」という唱法をとっています。それまでの歌手はマイクを使わないでベルカントなどで歌っていたのを、初めてマイクロフォンを使ってレコーディングやライブを始めた人たちの歌い方です。私はそのような歌唱法がとても好きです。クルーナーはその特徴として、滑らかなビブラートをつけて歌うのですが、私自身の声にはビブラートがありません。でも、演奏する上での精神的なあり方ではクルーナーと同じ場所にいます。感情的なものに流されて歌い上げたりしないとか、そういうところです。それらの楽曲を聴いたときに、歌が他の楽器と同じ様なオーケストラの一部であるという印象を受けたので、自分がこのアルバムを創るときには声もひとつの楽器であるという扱いでアレンジをしました。
Q3.今回のアルバムは、かつて'87年にリリースされたソロ作品『echo de Miharu』や『シャンソン・ソレール』といったカバー集の続編に位置するものなのでしょうか?
自分の中では過去の作曲家の作品を取り上げるということは、自分の作曲をするのと同じ様なところに位置していて、その違いはあまりないのです。そういう意味では、オリジナルもカバー集でも創るときに共通する「創っていく」という意識は同じなので、そういうことではありません。『echo de Miharu』のときはもっと幅広い選曲で、例えば、ディアナ・タービンの「It's been a sunbeams」やモーツアルトの「ハレルヤ」などベルカント風の発声をしていたので、それはちょっと今回の歌い方とは違うかも知れないですね。
Q4.ジャズのスタンダードが多いですが、ジャズにこだわったのでしょうか?
絶えず自分の中で変化している部分もあって、『echo de Miharu』以降、アメリカの古いジャズと、ヨーロッパのものを一緒に聴くのをずっと続けていて、そのなかでたどり着いたところだと思います。沢山聴くことによって、それらの楽曲が自分に近づいたというのがあるのと、客観的にみると、すごく自分が日本人であることを改めて感じました。日本の歴史のなかにはこれらの作曲家がいないということ。だからとても近いんだけども、とても遠いという両義性がある。シミュレーションをするときに聞き取って、譜面に起こすという作業を行ったわけですが、自分にとって、それらを理解するという作業はとても楽しいことでした。
Q5.7曲目の「C'est un nid Charmant(There's a small hotel) 」はオリジナルの”完全なるシミュレーション”に取り組んだとのことですが、シミュレーションとは具体的にはどのような作業なのですか?
この作品はクロード・ソーンヒルの演奏しているものを、レコードから楽譜に書き起こして、それをコンピューターを使ってレコーディングをしました。昔の録音ですから聞こえない音もあるので、それを予測して聞き取り加えて、何度も聴き比べながら、レコードの響きと同じように聞こえるように創っていきました。
Q6.多くの曲をフランス語でやっていますが、どのように作られたのか?
2曲はフランス文学者の鈴木創始さん。他にフランス語教師のジャン・ピエールアブリエルさんにお願いしました。
Q7.なぜオリジナルではなくフランス語で唄うのですか?
やっぱりフランス語の響きが好きなのです。
Q8.これらのCDのオリジナルも聴いてみたいのですが、手に入るものでしょうか?
CDショップに行けば、手に入ると思います。ジャズのコーナーなどで30年〜40年代というように年代で探せば見つけられます。
Q9.最後にコンサートの予定を聞かせて下さい。
12月(注:12/21〜22の2日間を予定)に世田谷パブリックシアターで行います。『フルフル』の中で取り上げた曲を中心に、オリジナル曲を織り交ぜながら、いつものようにバレリーナやダンサーと一緒にミュージックホールスタイルの楽しい舞台にしたいと思っています。
posted by dwww at 00:00| DWWW miharu archives
2001年02月15日
コシミハル『フルフル』全曲解説
アルバム『フルフル』に収められている11曲は1930-40年代頃のジャズ、シャンソンです。古き良き時代に生まれたそれらの名曲をコシミハル本人が解説いたします。
1. Frou-frou -フルフル-
1898年にヴァリエテ座上演レビュー「行進するパリ」のために、アンリ・ジャック・シャトーが作曲、エクトル・モンレアルとM.ブロンドーによって作詞された楽曲。歌手メアリーが創唱。戦後、リール・ルノーが歌い、リバイバル・ヒットし、1955年には同名の映画も制作された。
ベルエポックの頃流行したワルツ。"フルフル"は大きなスカートとフリルのついたペティコートが擦れる音。今では、聞かれることが無くなってしまったコケティッシュな音。私は、西部劇に出てくる食事の準備をする可憐で勇気のある女性などを思い浮かべながら作りました。
2. Dolores -ドロレス-
フランク・レッサーが作詞、ルイス・アルターの作曲。1941年のパラマウント映画「ラスベガスの夜」"Las vegas nights" のために作られ、バート・ホイラーが歌ってアカデミー主題歌賞にノミネートされた楽曲。ちなみにフランク・シナトラはこの映画にトミー・ドーシー楽団と共に出演。"I'll never smile again" を歌っている。同年、トミー・ドーシー楽団の専属歌手だったシナトラは、パイド・パイパーズと吹き込んだレコードで1位を獲得。また、ビング・クロスビーはメリー・マックスとボブ・クロスビー(ビング・クロスビーの弟)楽団のピック・アップ・メンバーによるグループ "ボブ・キャッツ" と共演。最高位2位のヒット曲だった。
トミー・ドーシー楽団は、私の一番好きなビッグバンド。軽やかで、ロマンティック で、技巧に片寄らないハイセンスなサウンド、そして、パイド・パイパースとシナト ラの素敵なハーモニー。その音楽に敬意を表し、作りました。
3. Rアクサントve (Dream) -レヴ-
フレッド・アステアの指名でジョニー・マーサーが作詞作曲。1945年の映画 "Herhighness and the bellboy" に挿入された。55年には「足ながおじさん」"Daddylong legs"で45年パイド・パイパーズが当時のチャートで1位を獲得。フランク・シナトラが歌って5位になった楽曲。
私の前作「ペリカン通り殺人事件」で、同じくジョニー・マーサーの楽曲 "ローラ"を取り上げていますが、そこでの編曲の流れを汲んでいます。ホルン、ピアノ、アコーディオン、チェレスタ、ドラム、そしてコーラスの編成。音域は低めにして、声はあくまでも小さく囁くように、他の楽器と同等に扱いました。
4. Tout le jour, toute la nuit (Night and Day)
-トゥ・ル・ジュール、トゥトゥ・ラ・ニュイ-
1932年のブロードウエイ・ミュージカル「陽気な離婚」"Gay Divorce" のためにコール・ポーターが作詞作曲した楽曲。後にRKOの映画「コンチネンタル」"GayDivorcee" と改題され、フレッド・アステアによって歌われ、当時のヒットチャートで1位を獲得。42年フランク・シナトラがアクセル・ストーダルの編曲、指揮で録音し、最高16位。トミー・ドーシー楽団から独立後、ソロとして活動を始めたシナトラの初のヒットとなった。46年には、ケイリー・グラントが主演したコール・ポーターの伝記映画「昼も夜も」"Night and Day"も制作されている。同じ年に、ビング・クロスビーも録音し、ヒットチャートの21位まで上がった。
ジャズのスタンダードであるこの傑作は、様々な歌手によってレコーディングされていますが、フレッド・アステアによって創唱されてから、もう70年近い年月がたっています。映画 "The gay divorce"の中ではアステアとジンジャー・ロジャースが、浜辺に打ち寄せる波が見える、大きく開いたバルコニーを背に広間で踊るシーンで歌われ、その意外なまでに濃厚な恋愛の歌詞と、アステアのエスプリ溢れるステップが、この音楽の真髄を突いていて、いつまでも、忘れられないシーンの一つでした。私は少し古いスタイルのラグタイム風のピアノと軽い編成のバンドを想定し、アコーディオン、パーカッションを加えました。コーラスはLes sアクサントur biches 雌鹿姉妹!
5. Hi-Lili, Hi-Lo -ハイ・リリ・ハイ・ロー-
1953年MGMミュージカル「リリー」"Hi-Lili, Hi-Lo"の主題歌。ブロニスラウ・ケイパーの作曲、ヘレン・デュッシュが作詞。レスリー・キャロンとメル・ファーラーによって歌われた楽曲。
ファゴット、ピアノ、アコーディオン、歌の編成。サロン・コンサートで演奏していた形に浜口茂外也さんのパーカッションが加わり、生演奏での録音です。遠い昔の、どこか古いカフェの入り口で演奏しているような、簡素な編曲をしました。この音楽は何も知らずに音楽だけ聞いていると何だか楽しげな感じですが、詩はとても悲しい。映画「リリー」の中で孤児のレスリー・キャロンが、果敢な恋に破れてサーカステントの前でマペットたちと歌うシーンが印象的で、演奏するときは、いつも、リリーのことが思い浮かびます。
6. Symphonie -サンフォニー-
アンドレ・タベとロジャー・バーンスタインの作曲、アレクス・アルストーヌが作詞したシャンソン。1945年、アメリカではジャック・ローレンスが歌詞をつけて、ポピュラー・ソングとして歌われた。
この曲を歌ったアンドレ・クラヴォーは日本でも戦前からレコードが発売されて、かつての日本では、こういったシャンソン・ド・シャルム(魅惑のシャンソン)はよく聞かれていたようです。ひとたびその低く甘い声に触れると、私は忽ち幸せな気持ちになってしまい、どうしても演奏してみたくなったのです。メロディーの楽しさを、どうぞ、楽しんで下さい。
7. C'est un nid Charmant(There's a small hotel)
-セ・タン・ニ・シャルモン-
1935年ミュージカル"Jumb"のためにリチャード・ロジャースが作曲、ロレンツ・ハートの作詞によって書き下ろされた楽曲。この映画への出演をフレッド・アステアが断ったため、このミュージカルは"On your toes"に書き換えられて映画化された。36年ハル・ケンプが演奏してチャート1位を獲得した。ポール・ホワイトマン楽団は19位まで上がった。42年にはクロード・ソーンヒル楽団により、当時同楽団に在籍したギル・エバンスの編曲で録音された。
かつて細野(晴臣)さんがクロード・ソーンヒルの"Snow Fall"をレコーディングした際に手伝った時が始まりでした。ソーンヒルのピアノは制御された管楽器のハーモニーの間をとても速い速度で動くのが特徴の一つで、その瞬く間に駆け抜けるメロディーを書き留めることが次第にシミュレーションへの興味へと繋がっていったのです。この楽曲は、今回のアルバムの中でただひとつ、完全なシミュレーションを試みたものです。従って、オリジナルKeyでの録音のため、私の声の音域よりも随分低い位置での歌唱となりました。映画「Pal joy」の中でフランク・シナトラがかつての恋人を前にネルソン・リドルのアレンジで歌ったものや、スタン・ゲッツ・カルテットの粋のいいスイングや、古くはパリへ渡ったジョセフィン・ベーカーが歌うものなど、それぞれ全く異なった響きをみせています。
8. Fou D'amour(Fool's rush in) -フゥ・ダムール-
ルーブ・ブルーム作曲、ジョニー・マーサーが作詞。1940年、グレンミラー楽団がチャートの1位に。トミー・ドーシー楽団とフランク・シナトラ盤は12位。
ミュート・トランペットのメロディーで始まるこの曲は、このアルバムの中で、最も好きな曲です。
9. Mアクサントnilmontant -メニルモンタン-
1938年、シャルル・トレネが作詞作曲。
シャルルトレネは1913年、フランス、ナルボンヌ生まれの作家、作曲家、そして演奏家。今も活躍する素晴らしい音楽家です。トレネの曲は"詩人の魂"、"ブン"に次いで、3曲目のレコーディングです。
10. It's been a long long time -イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム-
ジュール・スタイン作曲、サミー・カーンの作詞。1945年にビング・クロスビーが歌ってチャート1位を獲得。
88年より私がサロンコンサートで演奏していた形に、ブラシを加えての生演奏のレコーディングです。
11. Mam'selle -マムゼル-
マック・ゴードン作詞、エドモンド・グールディングの作曲。1946年、タイロン・パワー主演の映画"The Razor's Edge"に使用されている。作曲者のエドモンド・グールディングはこの映画の監督でもあり代表作には"Grand Hotel"(1932年)がある。47年アート・ランドがチャート1位を獲得。ベニー・グッドマン楽団独立後初のヒットとなった。同年フランク・シナトラも1位。パイド・パイパーズ、ディック・ヘイムズもとりあげて3位になった楽曲。
この曲を初めて聴いたのは、リチャード・ウィドマーク主演の映画「拾った女」"Pick up on south street"(1953年)でした。情報屋を演じるセルマ・リッター(「裏窓」、「足ながおじさん」などに出演)が疲れ果ててアパートに帰り、レコードをかけると、この曲が流れ出したのです。彼女は心の奥深くで愛していたスリのスキップ・マッコイ(リチャード・ウィドマーク)の名前を小さくノートに書き留めると、部屋に忍び込んでいたスパイに殺されしまうのです。そのなんとも言えない寂寥感がこのメロディーと合い重なって、忘れられないシーンの一つになりました。演奏は"レヴ"と同じスタイルでアレンジしました。あ、それと、私はリチャート・ウィドマークが大好き。これは、リチャードに捧げました。
[コシミハル 2月15日2001年]
1. Frou-frou -フルフル-
1898年にヴァリエテ座上演レビュー「行進するパリ」のために、アンリ・ジャック・シャトーが作曲、エクトル・モンレアルとM.ブロンドーによって作詞された楽曲。歌手メアリーが創唱。戦後、リール・ルノーが歌い、リバイバル・ヒットし、1955年には同名の映画も制作された。
ベルエポックの頃流行したワルツ。"フルフル"は大きなスカートとフリルのついたペティコートが擦れる音。今では、聞かれることが無くなってしまったコケティッシュな音。私は、西部劇に出てくる食事の準備をする可憐で勇気のある女性などを思い浮かべながら作りました。
2. Dolores -ドロレス-
フランク・レッサーが作詞、ルイス・アルターの作曲。1941年のパラマウント映画「ラスベガスの夜」"Las vegas nights" のために作られ、バート・ホイラーが歌ってアカデミー主題歌賞にノミネートされた楽曲。ちなみにフランク・シナトラはこの映画にトミー・ドーシー楽団と共に出演。"I'll never smile again" を歌っている。同年、トミー・ドーシー楽団の専属歌手だったシナトラは、パイド・パイパーズと吹き込んだレコードで1位を獲得。また、ビング・クロスビーはメリー・マックスとボブ・クロスビー(ビング・クロスビーの弟)楽団のピック・アップ・メンバーによるグループ "ボブ・キャッツ" と共演。最高位2位のヒット曲だった。
トミー・ドーシー楽団は、私の一番好きなビッグバンド。軽やかで、ロマンティック で、技巧に片寄らないハイセンスなサウンド、そして、パイド・パイパースとシナト ラの素敵なハーモニー。その音楽に敬意を表し、作りました。
3. Rアクサントve (Dream) -レヴ-
フレッド・アステアの指名でジョニー・マーサーが作詞作曲。1945年の映画 "Herhighness and the bellboy" に挿入された。55年には「足ながおじさん」"Daddylong legs"で45年パイド・パイパーズが当時のチャートで1位を獲得。フランク・シナトラが歌って5位になった楽曲。
私の前作「ペリカン通り殺人事件」で、同じくジョニー・マーサーの楽曲 "ローラ"を取り上げていますが、そこでの編曲の流れを汲んでいます。ホルン、ピアノ、アコーディオン、チェレスタ、ドラム、そしてコーラスの編成。音域は低めにして、声はあくまでも小さく囁くように、他の楽器と同等に扱いました。
4. Tout le jour, toute la nuit (Night and Day)
-トゥ・ル・ジュール、トゥトゥ・ラ・ニュイ-
1932年のブロードウエイ・ミュージカル「陽気な離婚」"Gay Divorce" のためにコール・ポーターが作詞作曲した楽曲。後にRKOの映画「コンチネンタル」"GayDivorcee" と改題され、フレッド・アステアによって歌われ、当時のヒットチャートで1位を獲得。42年フランク・シナトラがアクセル・ストーダルの編曲、指揮で録音し、最高16位。トミー・ドーシー楽団から独立後、ソロとして活動を始めたシナトラの初のヒットとなった。46年には、ケイリー・グラントが主演したコール・ポーターの伝記映画「昼も夜も」"Night and Day"も制作されている。同じ年に、ビング・クロスビーも録音し、ヒットチャートの21位まで上がった。
ジャズのスタンダードであるこの傑作は、様々な歌手によってレコーディングされていますが、フレッド・アステアによって創唱されてから、もう70年近い年月がたっています。映画 "The gay divorce"の中ではアステアとジンジャー・ロジャースが、浜辺に打ち寄せる波が見える、大きく開いたバルコニーを背に広間で踊るシーンで歌われ、その意外なまでに濃厚な恋愛の歌詞と、アステアのエスプリ溢れるステップが、この音楽の真髄を突いていて、いつまでも、忘れられないシーンの一つでした。私は少し古いスタイルのラグタイム風のピアノと軽い編成のバンドを想定し、アコーディオン、パーカッションを加えました。コーラスはLes sアクサントur biches 雌鹿姉妹!
5. Hi-Lili, Hi-Lo -ハイ・リリ・ハイ・ロー-
1953年MGMミュージカル「リリー」"Hi-Lili, Hi-Lo"の主題歌。ブロニスラウ・ケイパーの作曲、ヘレン・デュッシュが作詞。レスリー・キャロンとメル・ファーラーによって歌われた楽曲。
ファゴット、ピアノ、アコーディオン、歌の編成。サロン・コンサートで演奏していた形に浜口茂外也さんのパーカッションが加わり、生演奏での録音です。遠い昔の、どこか古いカフェの入り口で演奏しているような、簡素な編曲をしました。この音楽は何も知らずに音楽だけ聞いていると何だか楽しげな感じですが、詩はとても悲しい。映画「リリー」の中で孤児のレスリー・キャロンが、果敢な恋に破れてサーカステントの前でマペットたちと歌うシーンが印象的で、演奏するときは、いつも、リリーのことが思い浮かびます。
6. Symphonie -サンフォニー-
アンドレ・タベとロジャー・バーンスタインの作曲、アレクス・アルストーヌが作詞したシャンソン。1945年、アメリカではジャック・ローレンスが歌詞をつけて、ポピュラー・ソングとして歌われた。
この曲を歌ったアンドレ・クラヴォーは日本でも戦前からレコードが発売されて、かつての日本では、こういったシャンソン・ド・シャルム(魅惑のシャンソン)はよく聞かれていたようです。ひとたびその低く甘い声に触れると、私は忽ち幸せな気持ちになってしまい、どうしても演奏してみたくなったのです。メロディーの楽しさを、どうぞ、楽しんで下さい。
7. C'est un nid Charmant(There's a small hotel)
-セ・タン・ニ・シャルモン-
1935年ミュージカル"Jumb"のためにリチャード・ロジャースが作曲、ロレンツ・ハートの作詞によって書き下ろされた楽曲。この映画への出演をフレッド・アステアが断ったため、このミュージカルは"On your toes"に書き換えられて映画化された。36年ハル・ケンプが演奏してチャート1位を獲得した。ポール・ホワイトマン楽団は19位まで上がった。42年にはクロード・ソーンヒル楽団により、当時同楽団に在籍したギル・エバンスの編曲で録音された。
かつて細野(晴臣)さんがクロード・ソーンヒルの"Snow Fall"をレコーディングした際に手伝った時が始まりでした。ソーンヒルのピアノは制御された管楽器のハーモニーの間をとても速い速度で動くのが特徴の一つで、その瞬く間に駆け抜けるメロディーを書き留めることが次第にシミュレーションへの興味へと繋がっていったのです。この楽曲は、今回のアルバムの中でただひとつ、完全なシミュレーションを試みたものです。従って、オリジナルKeyでの録音のため、私の声の音域よりも随分低い位置での歌唱となりました。映画「Pal joy」の中でフランク・シナトラがかつての恋人を前にネルソン・リドルのアレンジで歌ったものや、スタン・ゲッツ・カルテットの粋のいいスイングや、古くはパリへ渡ったジョセフィン・ベーカーが歌うものなど、それぞれ全く異なった響きをみせています。
8. Fou D'amour(Fool's rush in) -フゥ・ダムール-
ルーブ・ブルーム作曲、ジョニー・マーサーが作詞。1940年、グレンミラー楽団がチャートの1位に。トミー・ドーシー楽団とフランク・シナトラ盤は12位。
ミュート・トランペットのメロディーで始まるこの曲は、このアルバムの中で、最も好きな曲です。
9. Mアクサントnilmontant -メニルモンタン-
1938年、シャルル・トレネが作詞作曲。
シャルルトレネは1913年、フランス、ナルボンヌ生まれの作家、作曲家、そして演奏家。今も活躍する素晴らしい音楽家です。トレネの曲は"詩人の魂"、"ブン"に次いで、3曲目のレコーディングです。
10. It's been a long long time -イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム-
ジュール・スタイン作曲、サミー・カーンの作詞。1945年にビング・クロスビーが歌ってチャート1位を獲得。
88年より私がサロンコンサートで演奏していた形に、ブラシを加えての生演奏のレコーディングです。
11. Mam'selle -マムゼル-
マック・ゴードン作詞、エドモンド・グールディングの作曲。1946年、タイロン・パワー主演の映画"The Razor's Edge"に使用されている。作曲者のエドモンド・グールディングはこの映画の監督でもあり代表作には"Grand Hotel"(1932年)がある。47年アート・ランドがチャート1位を獲得。ベニー・グッドマン楽団独立後初のヒットとなった。同年フランク・シナトラも1位。パイド・パイパーズ、ディック・ヘイムズもとりあげて3位になった楽曲。
この曲を初めて聴いたのは、リチャード・ウィドマーク主演の映画「拾った女」"Pick up on south street"(1953年)でした。情報屋を演じるセルマ・リッター(「裏窓」、「足ながおじさん」などに出演)が疲れ果ててアパートに帰り、レコードをかけると、この曲が流れ出したのです。彼女は心の奥深くで愛していたスリのスキップ・マッコイ(リチャード・ウィドマーク)の名前を小さくノートに書き留めると、部屋に忍び込んでいたスパイに殺されしまうのです。そのなんとも言えない寂寥感がこのメロディーと合い重なって、忘れられないシーンの一つになりました。演奏は"レヴ"と同じスタイルでアレンジしました。あ、それと、私はリチャート・ウィドマークが大好き。これは、リチャードに捧げました。
[コシミハル 2月15日2001年]
posted by dwww at 00:00| DWWW miharu archives