2002年03月29日
quiet voice 2000_ 「真夜中のデイジーワールド」終了のことなど
何事も始まり終わる。まずはこの放送を長く御愛聴していただきありがとう。僕の場合、かつていろいろな番組に惜別の思いを経験してきているので、毎週そこにあると思っていた番組が終わることの違和感を想像できる。例えば「シャボン玉ホリデー」も「ツインピークス」も終わった時は悲しかった。ところでぼくは以前にもレギュラー番組をやっていたこともあるが、今回ほど終わることを気にしたことはない。インターネットの無い時代、ラジオやテレビは顔の見えない視聴者に向けて一方的に放送していたものだが、今は少なくともこのBBSに来てくれる人々が熱心に聞いていてくれることを知っている。だから終わりを告げることがちょっとつらかったのだ。
番組がスタートしたのは1998年の4月、桜井さんが「ラジオやりませんか?」と言ってくれたことがきっかけである。彼女は知る人ぞ知るラジオ界の達人プロデューサーで、最近は奇しくも日曜の同じ時間帯で再放送していた因縁の名番組、大瀧詠一の「ゴーゴー・ナイアガラ」に関わっていた希少な人物だ。当初は短期企画の枠で3ケ月というつもりの放送だった。それがさらに3ケ月延長され、こうして自分がいかにラジオに向いているかがだんだん分かってきた。ひょっとするとこのために生まれてきたんじゃなかろうか、とさえ思ったほどだ。顔が出ないのも気楽だし、好きなことをやり、好きな音楽をかけるわがままも許されている。音楽同様にリズム、間、響きだけでイメージの世界を構築するというこの刺激。ヴィジュアルは想像力を限定してしまうという弱点があるが、ラジオこそ脳を活性化させるメディアじゃないだろうか。ラジオ世代のぼくは確かにそうやってラジオに接して育ってきた。ウディ・アレンの「ラジオ・デイズ」を見たとき、アレンと同ようにラジオへの愛をはっきり意識したものだ。
こうして熱中しつつも編成変えの3月が来るたびに終わることを予期していた。終了か延長かは自分の意志では決まらない。しかも延長は直前になって突然決まったりする。だから番組内でそれに関する告知は不可能なのだ。通常企画番組は期間限定で終わるのが当たり前であり、延長というのは希である。放送局は時間を提供クライアントに売るわけで、それが営業というものだ。この番組も郵便貯金のスポンサーが契約を終えた時点で終わる筈だった。ところが番組の独自性が買われ、J-WAVEの局持ちで半年の延長が決まったのである。このようにして終わるつもりがとうとう3年以上も続いて来てしまったわけだが、いつもフィナーレを周到に用意していたせいで、終わりそうで終わらないフェイクが生まれた。結局二年半前に日曜の深夜に引っ越し、心あるユナイテッド・アロウズ(様々)がスポンサーについてくれたことで、なお一層番組のカラーが定着し、レギュラー感に拍車がかかったのであった。これは今まで味わったことの無い繰り返しの面白さとマンネリズムの間で悩む時期に入ったともいえる。
だが面白さが勝っていた。番組を始める前に、決して飽きない番組製作の方法を選択したことが、今日にいたるまで尾を引いていたことになる。飽きないというのは視聴者のことではなく、まず製作者の態度に必要なことだ。以前担当したレギュラーでは半年もやれば飽きてしまうことが普通だった。喋って音楽をかけてというルーティーンは飽きないわけがない。それを避けるために、僕は音楽を作るのとまったく同じ方法で番組のリズムを考えた。時々はマックを使ってデジタル・オーディオのファイルをエディットしたが、さすがにこれは時間がかかり、要所要所でしかできなかったものの、暇さえあれば熱中していたものだ。音楽と違い、ラジオは残らないので労力が報われるとは思えなかったが、実は報酬は見えないだけであった。面白くしようとすればするほど、作っていて面白くなるからだ。誰が聞いていようと誰も聞いていまいと面白くなければガマンができない体質だ。しかも一緒に番組を作っているディレクターの志賀さんも、どうやらぼく以上にそのような体質らしく、編集マジックを駆使して番組をまとめてくれた。
やがて近隣の業界で「聞いている」という声を聞くようになった。ふ〜ン、面白いと思ってくれる人がいるのだ、という気持は大事だった。何故なら昔、ぼくの音楽は誰も聞いてくれないと卑屈にも思い込んでいたので、ファンのために頑張ろう、なんて気持を持つことは新鮮な体験だったからだ。そのうちこうしてBBSにも感想が増え、ますます聞かれている意識が強くなってきた。しかし、今度に限って2月にはもう番組終了というお達しが届き、ぼくはついに来たかと思ったものだ。3月から内容に終わりをにおわせるような不安感を盛り込むことにした。確定しないかぎりオフィシャルには告知できないからだ。しかも告知そのものがどう言っていいやら悩むことでもあった。で、とうとう先日に後枠で明らかにしたわけだが、また冗談だと思う人もいたに違いない。
だが果たして本当に終わるのだろうか?つまり形を変えてまた始まる可能性はないのだろうか?番組づくりは大変なのでもうやめよう、という気持と、続けたいという欲が共にある。どちらにせよ、望まれればやることは確かだ。ちなみに製作の桜チームはラジオからこういう番組が無くなって欲しくない、というスピリットを持つ人たちである。桜井さんは「現在のラジオ界でこのような番組を続ける意義」を各方面に説き、それを検討し実行することになった。そしてつい先日方針が決まり新たな航海が始まろうとしている。次週にはより詳しい情報を提示できるだろう。さてどうなることやら・・・・・。
posted by dwww at 00:00| quiet voice 1999-2007