数年前から女神がぼくに微笑んでくれている。『おつかれさま‥』ってね。今年は刈り取りの年だ。数十年と蒔いて来た種が育ち、満月のハーヴェストを迎えたのだ。これで隠居するのが人生というものだが‥まだやることは一杯だ。
「Hosono Box」が完成し、このサイトに届いた愛あるメッセージの数々に感慨を覚えた。かつてこんな経験があっただろうか?長い音楽生活で初めてだ。かつてYMOは人気があったが、愛を感じたことはなかった。ぼくの活動は種々雑多で、ひとつひとつをリアルタイムに、リニアに追っていくと迷路にはまるだろう。それぞれの分野に愛好家はいるが、まず絶対数が少なく、特にソロに関していえば、一枚のCDもぼくの生活を支えてくれたことはない。昔、あるメジャーのエクゼクティヴが「細野君、もっと女の子にもてる音楽をやれば?」と言った。でも出来ないんだよ、そんな器用な事。天分がないんだから。そういう人々は皆YMOのセールスを夢見ていたに違いない。ぼくもそれに答えようと無理をしたこともある。しかしそんな音楽産業にいれば、ぼくのような遊び人は常に敗北者だ。そしてぼくはラット・レースから逸脱し、デイジーワールドを始めたのだ。淡々と活動していこう。好きなことだけをやっていこう、と決めたのだ。一枚でも売れ、一人でも聞いてくれれば満足しよう。いや、誰も聞かなくても、自分が聞いてるのだから、それで救われるとも思った。やけに淡々としていた。しすぎていた。そういうものだと思って今日まで来たのだ。しかし今ぼくの全体性を提示してみて、初めて愛を感じる事ができた。こんなボックスを出すなんてことは自分の発想にはなかったので、こんな感慨も予想外のことだった。だから今さらながら、というよりリリースされた今はじめて東榮一や鈴木惣一朗にお礼を言いたい。ぼくは今回なにも創作せず、ただただかつての自己作品がまとめられていくのを見ていただけだ。それなのにこのような心的変化を経験するとは!今までぼくは創ることだけを目的にしすぎていたんだろう。でもそれが世に出れば人は必ず聞いてくれるし、寛容に受け止めてくれる。幾つになっても学ぶことは尽きない。
先日のJ-Waveでは、「Hosono Box」のDisk-1、つまり『はっぴいえんど』にいたるまでの、ぼくの音楽遍歴である膨大なポップスをかけまくった。その放送を家で聴いていると、またまたこのボックスが今の時代に出る意味を感じたのだ。自分ではその時代時代にできることを、ある時は一心に、ある時は遊びながら音を鳴らしてきたにすぎない。しかしこのボックスと、それにまつわるポップスは、時間を圧縮したアーカイヴとなって、『個』を超えた何ものかを示すようになる。その何もの=メディアなのだ。媒体、仲介、憑霊。こうして過去と未来をつなぐメディアの一単位として、ぼくはミディアムの役目を感じざるをえない。今は本当に20世紀と21世紀の挟間なんだな。
もうひとつ。孫が誕生したこと。このボックスに納められた音楽と同じ時間、ぼくは若者だったような気がする。自分が変えなければ何も変わらなかったような気もする。でも孫は誕生という神秘の力でぼくの場所を変えてしまった。そして浦島太郎のように『あっと言う間にお爺ちゃん』になった。この十数年の安定した位置関係を変えてしまうほどの力とは何か?生命だ。その孫が生まれた日、ぼくはティンパンのレコーディングで奇跡的な音楽が誕生することも経験した。孫と同様に、まるで女神が微笑んで授けてくれたようなものだ。種を蒔くのは自分だが、育て、刈り取るのは愛すべき仲間であり、収穫は多くの人によって為されるだろう。今年になり、ぼくのなかで何かが大きく変化している、ということが分かっていただけただろうか。
2000.3.27 Haruomi Hosono
2000年03月27日
quiet voice 2000_ Hosono Boxのことなどを考えてみた。
posted by dwww at 00:00| quiet voice 1999-2007