1999年11月15日
quiet voice 1999_ 星の巡り
長らくこのページに書かなかったので、蜘蛛の巣が張っちゃったな。ぼくは本当に筆不精者なんだ。書くことは一杯ありそうだけど、表現が難しいし、人さまに発表するまでもない事が多いし‥。ハリー&マックのCDやレコーディングの事は、音楽系の雑誌でくり返し喋ったから、もういいか。
付け加えるならば、ライヴを何故やらないか、ということだろうか。それには色々理由があるが、最大のものは『レパートリーが少ない』ことに尽きる。あと、久保田麻琴くんの心境の問題もある。彼はやるとなると全力疾走する男だ。だからライヴをやる場合、優秀だが忙しいミュージシャンをおさえて、念入りなリハーサルをやらねばならない。お金も時間もかかり、エネルギーを使うだろう。それだけの準備をしたら、当然ツアーをしなければ納まらない。つまり一年の多くを費やし、没頭せずにはいられないことになる。それが嫌なんだ。没頭してしまう自分を良く知ってるということだ。
そのことに関しては僕の方がもっと嫌がる。だって曲を作るのでさえ嫌なんだもん。作り出せば止まらないのを知ってる。とことんやってしまう。アルバムにいっぱい曲を書くなんて気が遠くなる。一生涯にいい曲はそんなになくたっていいじゃないの。でも作るからには頑張っちゃう。これが嫌なんだ。レコーディングの間は没頭して楽しいけど、終わるとヘナヘナなんだから。YMOの時なんかレコーディングが終わった後、『おや?細野君、身長が縮んだね?』と良く言われたものだ。それほど身をすり減らしてやるべきなんだろうか?答えは『やるべき』なんだ。それが楽しいからね。だから嫌なの。楽しいことは止められない。あーやだやだ。
でもそんなことはすぐ忘れるから、今までやってこられたんだと思う。実はもう次のプロジェクトが始まりつつあるし。ティンパン・アレーと言ってた仲間の鈴木茂くんが言い出したことだけどね。ドラマー復帰を果たした林立夫くんを誘って、今年の6月頃『なんかやろうよ‥』って僕のところに来たんだ。
久保田くんもそうだけど、ここのとこ20年ぶり、というのが続いている。何故か?誰も理由は分からない。今年1999年という時の巡りもあるだろうし、花が咲き、枯れ、また花が咲くという人生の循環もある。ぼくらの世代がロックをやり始めて、今やっと成熟したことも大きい事件だ。ロックはほぼ僕と同い年だといえる。ニューオリンズで"Proffesor Longhair"がブルース・ルンバを録音したのが1949年。"FatsDomino"が登場したのは翌年。だいたいこの当たりから爆発して来たんだ。
ロックはビジネスになり過ぎて退廃し、とうとう1960年代になると一度崩壊したね。ヴェトナム戦争のダメージや、ケネディー暗殺という事件が引き金だったけど、社会の枠組みが変化しようとしていたと思う。ボブ・ディランが象徴的だったな。学生達もポップスを聞かず、フォーク一辺倒になっちゃった。そんな中から"Buffalo Springfield"や"The Band"のような、『イノセント』で『イノヴェーティヴ』な音楽が奇跡のように生まれて来たから、2〜3年遅れたけど日本でも"はっぴいえんど"が出来たんだ。今、若い連中がそのころの音楽に共振しているよね。同じような時代を迎えている感じがするな。ワールド・スタンダード、クラムボン、中村一義、キリンジ、かせきさいだぁ、etc‥あげればきりがない。
先日は「風街ミーティング」という、松本隆を偲ぶ、否、讃えるライヴに出たけど、"はっぴいえんど"の『あしたてんきになあれ』『風をあつめて』、小坂忠の『しらけちまうぜ』をやったら受けたなー。高野寛くんにメンバーをまとめてもらったおかげだ。中村一義くんとも初めて会った。松本隆くんも20年ぶりにドラムを叩いたんだぞ。
こうした事が偶然起こっているとは言い難い。そのもう一つの気になる事象がある。それは『星の巡り』だ。これは机上の星占いではなく、冥王星のことだ。今年2月11日のNASAの発表を覚えてるだろうか?以下に記す。
楕円軌道の冥王星は今まで20年間、その定位置を外れ、海王星の内側にいたが、今日の11日、惑星としての定位置の、太陽系の一番外側に戻った。この状態は、今後288年続く。
ここに『20年間』という数字が出ているではないか。1979年から1999年の間は太陽系が特殊な動きをしていたことになる。占星学的にも色々取り沙汰された冥王星は「プルート」といい、占星学では「悪魔」のシンボルであるという。その動きが今、激しいのである。8月12日には皆既日食と共に、惑星のグランド・クロスがあったが、この時も冥王星だけがその動きからはずれ、自由位置にあった。そのことが「危機」を象徴する、ともいわれていたのだ。
その2月に開催された天文学術会議では、「冥王星」がやっと惑星番号を名付けられた。それに呼応したかのような天体の動きは、象徴的に思えたものだ。ともかくこうして冥王星が内側に来ることは歴史的に特異な事象である。この20年がそれに当たるわけだ。そしてこの時代は悪魔的といえるほどバブリーで、人類の危機を招いて来た。底辺が表に、表が底に沈んだ時代だ。"Emerging"〜隠れたものが出現する〜という時代だった。わけの分からない事が浮上し続けているじゃないか。悪い事が多いけど、いい事も起こっている。今まで何の役にも立たないと思われていた純粋性が、音楽の中から浮上するのを感じるのは、どうもぼくだけじゃなさそうだ。
1999.11.15 Haruomi Hosono
posted by dwww at 00:00| quiet voice 1999-2007