2003年04月15日
quiet voice 2005_ ♪ フーリオ・デ・カーロ
■4月15日(火曜日)
夜中まで一人スタジオに残っていると最近は虚無感に包まれる。この世に「良い知らせ」が届くのはいつになるのだろう。創作の場にはそれが届いているのに、生活の中には悪い知らせばかりだ。内と外がこれほどしっくり来ないのは初めてかもしれない。この状態はほとんど社会的な離人症とも言えるし、こんな時代に生活するのは健康に悪い。
そんな気分の日、帰りの車で深夜のラジオ番組を聞いていたら、とてつもなく郷愁を誘うアルゼンチン・タンゴが流れて来た。タンゴは嫌いじゃないが情熱的なイメージには縁が遠かったものの、ここに流れている音は今まで気付かなかったタンゴの本質が聞こえてくる。最近ずっと音響エレクトロニカを聞き続けて来た聴覚に染み込むのは、忘れていた甘美なやるせなさや、 かつて幼いころに読み聞かされ、心を痛めた異国の物語、「母を訊ねて三千里」のブエノスアイレス、という響きだった。添い遂げることのできない愛人を思う心のような音楽。その胸を締めつけるようなせつない響きは人生のほろ苦い哀愁を甘露に変える。そこには内と外が一体となった、社会も家庭もそして自分自身も幸福な時代の呼吸が息づいていた。
創作の場に届く良い知らせとは、そのような心の響きなのかと思う。電子的な処理で最新鋭の意想を纏った音楽の中にもそれがある。タンゴにあった哀愁は今、音響の中にひっそりと忍びこんでいる。エレクトロニカは新しい民俗音楽だと思う_タンゴを聞きながら。それは1930年代、ブエノスアイレスのフーリオ・デ・カーロというリーダーの率いるバンドの音だった。
posted by dwww at 00:00| quiet voice 1999-2007