それは1本のカセットテープから始まった。ライト・イン・ダークネスこと村上フミヒロのキャリアは、94年12月UKブリストルのロック・バンド"ムーンフラワーズ"のメンバーが聴いたことから始まる。それまで作り続けてきた曲を集めたカセットテープが友人づてに彼等に渡っていったのだ。2年間録りだめた音から数曲を選んでコピーしたテープは、音楽を作りはじめてまもない習作もふくまれていたが、L.I.D.の才能を伝えるには十分だったようで、テープは評判を呼び、ひとづてにコピーを重ねられ、ついにはこのカセットテープをUKでリリースすることになる。ムーンフラワーズのドラマーで、最近では"ブレイクビート・エラ"(ロニ・サイズのユニット)のメンバー、トビー・パスコーはL.I.D.を「サイケデリック・バカラック」と絶賛し、ジェシー・ヴァーノン(現"モーニング・スター") は"プレイズ・スペース・エレクトリック"のリミックスをL.I.D.に依頼していることからも、L.I.D.がムーンフラワーズのメンバーや数々のミュージシャンを輩出し続ける音楽都市ブリストルのアーティストから注目を浴びていることがわかるだろう。
国内では"サウンド&レコーディング・マガジン"が主催するコンテストで、審査委員長をつとめた細野晴臣の目にとまり優秀賞を獲得。同誌がリリースしたコンピレーション・アルバムに応募曲"MIKO"が取り上げられ話題になる。96年、デイジーワールド・ディスクが発足した際に細野晴臣の誘いで、新しい音楽の潮流を紹介したコンピレーション・アルバム"デイジー・ワールド・ツアー"に参加。この年にはブリストルでのカセット・リリースもあり、デイジーワールドをはじめ国内外のレコード会社から契約のオファーが相次ぐなどL.I.D.に白羽の矢が立った。その中からデイジーワールドを選んだL.I.D.は97年末からレコーディングを開始、1年6ケ月をかけて制作されたデビュー・アルバムがこの"サウンド・オブ・ドリームス" である。
カウント・ダウンで始まり、カウント・ダウンに終わる35分の音のマジカル・ツアーは、類まれなメロディ・センスと緻密に織り込まれたイマジネイティヴな響きがおりなすドリーミーではじけたポップ・アルバムだ。万華鏡を覗くように変化するサウンドの結晶は、聴く者を別世界へと導くだろう。
ライト・イン・ダークネス(暗闇の中の光)というユニット名と同じように、L.I.D.の音楽は玉石混合の音楽シーンの中で暗闇を灯す光明になるにちがいない。
2000年10月03日
disc catalogue: a short story of L.I.D.
posted by dwww at 00:00| 2nd season_1999-2001